自分で決めていい
たとえば、質問。「これから世の中にいたずらをする。何をする?」さあ、どうする?
この質問の答えに正解はないのです。というか、全ての答えが正解になります。
イタズラ心や遊び心で全身を満たして、バナナの皮を投げるとか、大衆に向かって自分の人生の言い訳をするとか、無言で相手を見つめ続けるとか、自転車置場の自転車を全てスケボーにかえる、いや、スノボーにかえるとか、とにかく思いついたことはすべて正解なのです。
昔、ワークショップリハーサル中にこの質問をしたときに、「なんでしょうね、抗議するとかでしょうか?」とか「なんでしょうね、座るといったことでしょうか?」といった感じで、言葉と気持ちで前置きしてから周りの様子を伺いつつ答える方がいました。そして他の方が別の答えを出すとそれが正解だと安心して同じ答えを言ってしまう。
これはすごくもったいない。
まわりから変なことをしていると思われるのではないか、あたりさわりのないことを言った方がいいのではないか、という思いこみから飛び出した方が絶対楽しいのに。
フィクションの世界で、演劇という特別な世界なのだから。世間で信じこまれている常識とは違うものでも、自分がつくったことが真実なのです。
きっと、それは、日常でも通じる答え。
大切なことは、自分で決めて良いのだということ。自分で決めて良いという贅沢。
自分を信じ、その瞬間を集中して楽しむこと、相手とやりとりすることです。
0コメント